国政信頼について考える(1)

背景:国政信頼の測り方(JES方式)と低さ

政治学で「国の政治への信頼」を測定しようとする時、しばしば以下の形式の操作的定義が用いられる。この画像は、私が愛してやまないJES3の第5回調査票コードブック(e波)から拝借したものである。日本で本格的に政治不信に関する調査が始まったのは1976年のJABISSからだが、その設問の多くは1960-70年代のANESのそれを「輸入」したものだった。しかし他方で日本独自の設問も存在しており、その1つがこの「日本政治への信頼」に関する設問であった。

さて、ここからが本題である。この形式で国政信頼を尋ねると、きまって国の政治<都道府県or市区町村の政治という結果となる。要するに国政への信頼よりも都道府県や市区町村への信頼感の方が高くなる傾向が存在するのである。無論、これは一見するともっともらしい結果ではあるのだが、個人的には奇妙だと思っている。その理由は、有権者の多くは地方政治の実態についてほとんど情報を持ち合わせていないにもかかわらず、地方を信頼していると回答しているからである。やはり奇妙である。しかしまぁ、事実としてこの傾向が存在することは確かである。

なぜこのような奇妙な結果となるのだろうか。社会心理学的に考えると「心理的距離感」から説明できそうである(解釈レベル理論などから説明することが一般的なのだろうか)。おそらくこの説明は正しいのだが、他方で個人的にはあまり面白くないようにも思う。どうせなら「国政不信の高さ」という通説を覆せるようなアイデアの方がよい。というわけで、測り方で「高い国政不信」という通説をいかに覆せるか、という問題について、少し考えてみたい。なお、この問いへの解答については、一部、既に論文化している。よければそちらにも目を通して頂ければと思う。

疑問:国の位置付けを変えるとどうなるか

国政信頼というのは、端的には認識対象たる国政への評価である。信頼は絶対的な評価となる場合もあれば相対的な場合もある。国政信頼に関していうなら、当然、政権政党が異なれば有権者の国政信頼感も変わるので相対的な評価となる。とするならば「何と比較するか」で国政への信頼感も変化するはずではなかろうか。

細かな話はとりあえずおいておくとして、以上の問題意識に基づき、「日本の国政への視点を変えると信頼がどのように変化するのか」をサーベイ実験により検証したデータが手元にある。2012年の衆院選後に楽天Rで実施したウェブサーベイデータである。このまま「お蔵入り」にするのも一つの手であるが、それは非常に勿体無いので、以下に実験の結果を公表する。

実験デザイン

2012年末に実施したサーベイ実験では、以下のデザインに基づき、国政信頼が「文脈」によりどのように変化するのかを調べている。調査対象は楽天Rに登録している20歳以上のモニタ1500人である。調査そのものは2000人に対して行なったが、ここで利用するのは、そのうち1500人のみである。年齢、地域、性別の3属性については国勢調査の結果に符合するように割付回収を行なった。もちろんだから代表性があると強弁するつもりはないが、他方でサンプリングバイアスが存在するとしても、ここで行なっているのはサーベイ実験なので、いわゆる「ネット調査だから〜」警察の方のありがたいご批判は気にしないでよい。むしろクラウドなどより属性などに気をつけてサンプルを集めている分、「マシ」なデータだと考えて頂ければと思う。

さて、この実験ではグループを3つ作り、それぞれに回答者を500名ずつ無作為に配分している。厳密にいうと無作為配分ではないのだが、無作為配分ということにしておく。簡単なバランスチェックは実施済みであり、ほぼ等価なグループとなっていることを予め申し添えておく。

どのような実験群を作ったのかを説明する。この実験は国政信頼を尋ねるものなので、全てのグループに国政への信頼感を尋ねているのだが、その尋ね方が異なる。具体的にいえば「あなたは〇〇をどのくらい信頼できるとお考えですか」という質問文をベースに国政信頼を尋ねているのだが、この〇〇に入る文言が実験群ごとに異なるのである。選択肢は1:信頼できる〜4:信頼できないまでの4件順序尺度であるが、5:わからない、6:こたえない、も用意している。〇〇に入る文言は以下の通りである。



実験群1は単純に国の政治への信頼を尋ねたものなので、統制群のようなものだと理解すれば良い。全体としての国政というとちょっと奇妙な聞き方だが、そこは気にしないで欲しい。重要なのは実験群2と実験群3である。実験群2は地方と相対化させた上で国政への信頼を尋ねる形式へと文言を変えている。地方と明確に対比すれば国政への信頼は下がるのではないかと考えたのが、このような文言へと変えた理由である。ただ、そもそも信頼感が底に到達している場合、地方と比較しても意味はない。なので、予測としては「実験群1と比較して実験群2の国政信頼は変わらない、もしくは低い」ということになる。

このサーベイ実験の最大のポイントは実験群3である。この実験群は文言を見れば明らかなように、「他国と比較した場合の国政」である。他国での政治など、一般の有権者は知りようがないだろう。しかし、実は、多くの有権者の頭の中には「仮想的な他国」が存在しており、それと比較すると日本は「まだマシ」だと考えている傾向があるように思われる(知らんけど)。「なんだかんだゆーて、日本は他の国と比べるとマシだって」といった台詞を聞いたことはないだろうか。そう、日本は他国と比べるとマシなのである!!(知らんけどagain)

以上を踏まえつつ、実験結果を見ていくことにしよう。

結果

下の棒グラフが実験結果を整理したものである。左から順に、実験群1の度数分布、実験群2の度数分布・・・となっている。Y軸は割合であり単位はパーセントである。



結果を確認していこう。まず単純に国政への信頼を尋ねた実験群1を見ると、非常に国政への信頼感が低い結果となっている。さもありなん、といったところである。しかし1割程度しか「信頼できる」と回答していないあたり、なんともいえない哀愁が漂っている(気がする)。

続いて地方と比較した場合の国政信頼である。元の水準が極めて低いせいか、実験群1とほぼ変わらない結果となっている。若干程度、上がっているようにも見えるが、誤差の範囲を超えていない。理論的にも上がる理由は思いつかないので、この増加は偶然によるものだと解釈すべきであろう。まぁここでの予測は「下がるか変わらないか」なので、期待通りの結果というところだろうか。

最後に他国の政治との比較を加えた実験群3の結果である。「信頼できる」の回答率は実験群1とほとんど変わらないが、「だいたい信頼できる」の回答率を見てみると、約2倍に増加していることがわかる(9.9→18.9)。これはもちろん誤差の範囲を超えており、統計的に「信頼感が増加した」といえる増分である。まぁ約20%という値を高いと見るかどうかは人それぞれだが、元の値から2倍程度に膨れ上がってるのだから、そこは「高くなった」と見た方が良いだろう。ここらあたりはわざわざ効果量を算出して考える、というような話ではなく、実際の値を見ながら常識に照らし合わせて考える方が適切だと思う。

考察と今後に向けて

この実験で明らかになったことを端的にまとめれば「日本を諸外国との比較の観点から考えさせると国政信頼は高くなる」ということである。約10%ポイントと増分の値そのものは決して大きくないが、実験群1の信頼感がとても低い点を考慮すれば「効果量としては大きい」と解釈できるように思われる。さらに言えばこの実験は、国政への信頼を高める方法としては、政府のパフォーマンスを向上させることだけではなく、他の国の政治を持ち出し比較させることも有効だ、ということを暗に示している。

なぜ他国の話を持ち出すと国政への信頼が高くなるのか、そのメカニズムはよくわからない。愛国心的な要素を高める一手段だから、なのかもしれないし、本当に他国と比較して日本の政治パフォーマンスが高いからなのかもしれない。しかし他国と比較すると国政信頼が上がるという事実そのものは頑健である。サーベイ実験の強みはここにあるといってもよい。なので政治家の皆さんには、自らの信頼性を高める手段として政府や自治体のパフォーマンスの低さを嘆き改革を唱え続けるだけではなく、ものによっては「他国と比べたらいいんだよ」と主張し何もしないことを選択する、という方策についても私は提案したい。公務員の皆さんも、そして政治家の皆さんも何もしなくて良い、素晴らしい案である。これぞまさにWin-Win!!(冗談ではなく割と真面目)

というわけで、サーベイ実験によって国政信頼がどのように変化するのかを検証した結果をまとめてみた。気が向いたら論文化するけど、多分しない(からここに備忘録として残している)。内容に興味を持たれた方に、ぜひ、再現実験を行なって頂き、結果をまとめ論文化して頂きたいと思う。

ちなみにタイトルから推察可能だが、他にも実験ネタをたくさん寝かせている。結果もそこそこ面白いのだが、なにせめんどくさがり屋なもので、論文化するモチベーションがあまりない。それらについても折を見て結果をまとめ、記事としてあげることにしたい。論文化するよりこの方が楽チンである。

ちなみにちなみに、久々に政治信頼に関する実験をこっそり行う予定である。この結果については頑張って論文にしようと思う。英語で書こうかなと一瞬思ったが、内容的に日本語で書いた方が絶対いいやつなので、日本語で書いて某誌あたりに投稿しようと思う(8/21/2018 公開)。